めぐり合わせと、依存
2003年12月20日寂しくて、一人が嫌で、かまってもらえればよくて
”恋人”というものがいればよくて
”彼氏”と呼べるものがあればよくて
その頭で出会った相手や
その頭で一緒にいる相手は
自分の中のそういう寂しさとかかまってもらいたいとか
ものすごい無意識の感情のフィルターによって
相手とのひずみを、見えなくしていると思う。
「この人じゃなきゃだめなんだ」のものすごい間違い。
「こんなバカで自己中で情けなくて誰からも救い様が無い相手を若手上げられるのは
こんなバカで自己中で情けなくて誰からも救い様が無い私じゃなきゃだめなんだ」を略したヤツ。
私が過去に付き合ってきたなさけなーーーーい関係は
私の負のエネルギーの温床(笑)にあずかり
それはそれは、ただの依存であって、相手の何がどう好きかさえ
なーーーんにもない関係だった。
「じゃぁなぜ付き合っていたの?」とそのころの自分に問い掛けると
会えば会ったで、そのときは楽しいし?
とりあえずセックスもするし?
足になってもくれるし?
ひとりじゃないし?
時間潰せるし?
・・・こんな答えが浮かび上がってくる。
10代のころ、こんな最悪だったんだなぁ〜〜と
我ながら酒のまずくなるような話題になってしまう。
笑いとばせるから、その情けない過去たちが意味があるんだろうな、とも思えるけれど
なんの成長もなく、今もそんなふうだったら・・・?とおもうと
鳥肌が立つ。
お姉さん友達で、告白されても
自分の目指すものとは違うからとスパっといえる
付き合えませんといえる
その、”自分”というものをしっかりもってること
それが
今、私のあこがれ。
その頃の私に、もっと”私”がいたならば と、
ちょっぴりおもうけれど
過ぎたことはもう戻らない。
できることはこれからしかない。
自分のマイナスや甘えに囚われない
強い強いひとになること。
私は、いつぐらいからか、全ての事象に意味を求めるようになったと思う。
偶然は必然と思うようになってからかもしれない。
まったく興味の無かった相手が、まさか結婚相手になるなんてね、と。
ケイくんが私を好きでいてくれることが、
じーっとしていても、二人でいる空間の優しく甘い薫りに感じる時も
それは二人にとって意味があることだしね。
一緒にいることに、疲れとか、おんなじことの繰り返しとか
おんなじネタでのケンカとか
無意味な我慢とか、
そんなのって、本当につまらない。
意味が無い。
どうせなら、心に一点の曇りもなく
おもいっきり笑って、思いっきり胸を張って空を見上げて
そんな関係でいつづけたほうが
いいじゃない?
そんな関係を一緒に築いていこうよ!っていってくれて
試行錯誤してくれる彼のがいいじゃない?
{不倫なら明日離婚してくるよ!ていうのが当たり前じゃない?(できないならするなビーム;爆笑)}
前も書いたけれど
5年後10年後の自分に、謝るような
そんな意味しかない生き方はしたくない。
あの時がんばったから、こんなにステキだよって
5年後の自分が笑っていた方がいいじゃん。
あの日
私はケイ君に出会えたから
こうやってすごく前向きな恋愛自論がいえるだけで
出会わなかったら、もしかすると、どこにでも転がってるような
生ゴミのクズのような、
彼氏のようなものが遊びほうけてなんにも顧みなくて
それでケンカしてぐちゃぐちゃして
泣きながら謝って、とりあえず休日は会って
セックスしてレストランいって、記念日にはアクセサリーで
とりあえずモノもらって幸せ風味〜で
でも彼氏のようなものはバカでワガママで遊びほうけて
何にも顧みなくて
それでケンカしてぐちゃぐちゃして泣きながら謝って・・・(以下ループ)というような
不幸の中の幸せに すがっていたんじゃないかなと思う。
生ゴミのなかの食べれるものを見つけた時のような恋愛を。
それで、友達に同じような相談をするんだろう
「カレシがぁ、またカクカクシカジカでぇ〜」 って。
友達も
「あんたも大変だね」一言でサラリ、そんなやりとり。
・・・過去、そうだったから。私も。
じつにくだらない。実に意味の無いことだと知ったから。
ここで
私とケイ君のしていることが完璧パーフェクト!ということを
書いてるわけじゃ、ない
(こうかかないと、あなたたちのような完璧夫婦はどうのって叩くタチが悪い御人が・・・(ノ_-;)ハア…)
私もケイくんもそれを過ごしてきて
そういうことがすっごくツマンネー、クダラネーってわかったから
改善しよう変えよう、となっただけのこと。
「ケイくん、愛は手に入れれた?」
ふいに、そんなことを聞いてみた
そのときは、二人でにこにこしながら、とても良い話をしていたので
勢いで「うん!」っていうかと思ったら・・・
「まだまだだね〜4、50年先になると思う」
とのお返事。
やっぱすごいなぁと、隣りで私は頷いた。
結婚して1年が過ぎた
一緒に暮らしだして1年半を超えた。
それでもどんどん好きになる
どんどん愛が深くなる。
日に日に二人は目指しているカタチに近づいていってると思うし
不必要なものの選定する目も養っていけてると思う。
朝方。
急にケイくんがむくっとおきて
私を見て、にーーーっこり笑って
私の手をそっと握り締めて
お布団ぎりぎりまで私のそばにきて
体を丸めて手を顔のそばまで持っていって
すやすやねていたことを
夜、
ケイくんに教えたら
顔を赤らめて
「憶えてないヨー。はずかしい」って
背中を向けて布団の中に潜ってもじもじしてた。
髪をなでなですると、一気に4歳くらいの坊やになってしまうケイくんに
またさらに愛しさを感じてしまう。
それを守りたいから。
なにより守りたいからこそ
不必要なものは捨てましょう。
自分に精神的に害を成すものは捨てましょう
割り切る心をもちましょう。
人は変わっていく生き物だから。
成長しましょう
成長しましょう
強運の星のもとへと歩ける足になれるように
”恋人”というものがいればよくて
”彼氏”と呼べるものがあればよくて
その頭で出会った相手や
その頭で一緒にいる相手は
自分の中のそういう寂しさとかかまってもらいたいとか
ものすごい無意識の感情のフィルターによって
相手とのひずみを、見えなくしていると思う。
「この人じゃなきゃだめなんだ」のものすごい間違い。
「こんなバカで自己中で情けなくて誰からも救い様が無い相手を若手上げられるのは
こんなバカで自己中で情けなくて誰からも救い様が無い私じゃなきゃだめなんだ」を略したヤツ。
私が過去に付き合ってきたなさけなーーーーい関係は
私の負のエネルギーの温床(笑)にあずかり
それはそれは、ただの依存であって、相手の何がどう好きかさえ
なーーーんにもない関係だった。
「じゃぁなぜ付き合っていたの?」とそのころの自分に問い掛けると
会えば会ったで、そのときは楽しいし?
とりあえずセックスもするし?
足になってもくれるし?
ひとりじゃないし?
時間潰せるし?
・・・こんな答えが浮かび上がってくる。
10代のころ、こんな最悪だったんだなぁ〜〜と
我ながら酒のまずくなるような話題になってしまう。
笑いとばせるから、その情けない過去たちが意味があるんだろうな、とも思えるけれど
なんの成長もなく、今もそんなふうだったら・・・?とおもうと
鳥肌が立つ。
お姉さん友達で、告白されても
自分の目指すものとは違うからとスパっといえる
付き合えませんといえる
その、”自分”というものをしっかりもってること
それが
今、私のあこがれ。
その頃の私に、もっと”私”がいたならば と、
ちょっぴりおもうけれど
過ぎたことはもう戻らない。
できることはこれからしかない。
自分のマイナスや甘えに囚われない
強い強いひとになること。
私は、いつぐらいからか、全ての事象に意味を求めるようになったと思う。
偶然は必然と思うようになってからかもしれない。
まったく興味の無かった相手が、まさか結婚相手になるなんてね、と。
ケイくんが私を好きでいてくれることが、
じーっとしていても、二人でいる空間の優しく甘い薫りに感じる時も
それは二人にとって意味があることだしね。
一緒にいることに、疲れとか、おんなじことの繰り返しとか
おんなじネタでのケンカとか
無意味な我慢とか、
そんなのって、本当につまらない。
意味が無い。
どうせなら、心に一点の曇りもなく
おもいっきり笑って、思いっきり胸を張って空を見上げて
そんな関係でいつづけたほうが
いいじゃない?
そんな関係を一緒に築いていこうよ!っていってくれて
試行錯誤してくれる彼のがいいじゃない?
{不倫なら明日離婚してくるよ!ていうのが当たり前じゃない?(できないならするなビーム;爆笑)}
前も書いたけれど
5年後10年後の自分に、謝るような
そんな意味しかない生き方はしたくない。
あの時がんばったから、こんなにステキだよって
5年後の自分が笑っていた方がいいじゃん。
あの日
私はケイ君に出会えたから
こうやってすごく前向きな恋愛自論がいえるだけで
出会わなかったら、もしかすると、どこにでも転がってるような
生ゴミのクズのような、
彼氏のようなものが遊びほうけてなんにも顧みなくて
それでケンカしてぐちゃぐちゃして
泣きながら謝って、とりあえず休日は会って
セックスしてレストランいって、記念日にはアクセサリーで
とりあえずモノもらって幸せ風味〜で
でも彼氏のようなものはバカでワガママで遊びほうけて
何にも顧みなくて
それでケンカしてぐちゃぐちゃして泣きながら謝って・・・(以下ループ)というような
不幸の中の幸せに すがっていたんじゃないかなと思う。
生ゴミのなかの食べれるものを見つけた時のような恋愛を。
それで、友達に同じような相談をするんだろう
「カレシがぁ、またカクカクシカジカでぇ〜」 って。
友達も
「あんたも大変だね」一言でサラリ、そんなやりとり。
・・・過去、そうだったから。私も。
じつにくだらない。実に意味の無いことだと知ったから。
ここで
私とケイ君のしていることが完璧パーフェクト!ということを
書いてるわけじゃ、ない
(こうかかないと、あなたたちのような完璧夫婦はどうのって叩くタチが悪い御人が・・・(ノ_-;)ハア…)
私もケイくんもそれを過ごしてきて
そういうことがすっごくツマンネー、クダラネーってわかったから
改善しよう変えよう、となっただけのこと。
「ケイくん、愛は手に入れれた?」
ふいに、そんなことを聞いてみた
そのときは、二人でにこにこしながら、とても良い話をしていたので
勢いで「うん!」っていうかと思ったら・・・
「まだまだだね〜4、50年先になると思う」
とのお返事。
やっぱすごいなぁと、隣りで私は頷いた。
結婚して1年が過ぎた
一緒に暮らしだして1年半を超えた。
それでもどんどん好きになる
どんどん愛が深くなる。
日に日に二人は目指しているカタチに近づいていってると思うし
不必要なものの選定する目も養っていけてると思う。
朝方。
急にケイくんがむくっとおきて
私を見て、にーーーっこり笑って
私の手をそっと握り締めて
お布団ぎりぎりまで私のそばにきて
体を丸めて手を顔のそばまで持っていって
すやすやねていたことを
夜、
ケイくんに教えたら
顔を赤らめて
「憶えてないヨー。はずかしい」って
背中を向けて布団の中に潜ってもじもじしてた。
髪をなでなですると、一気に4歳くらいの坊やになってしまうケイくんに
またさらに愛しさを感じてしまう。
それを守りたいから。
なにより守りたいからこそ
不必要なものは捨てましょう。
自分に精神的に害を成すものは捨てましょう
割り切る心をもちましょう。
人は変わっていく生き物だから。
成長しましょう
成長しましょう
強運の星のもとへと歩ける足になれるように
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