「夏が終わるまで、もたなかったんだって」
 
 
お父さんからの電話だった。
少しさびしそうな、なんだかやけに冷静な声だった。
 
 
 
お父さんは、いつも、AさんとBさんと3人で、若いころつるんで遊んでいた。
ナンパするのもこの3人、遊びに行くのも、この3人だった。
 

最初にうちのお父さんが結婚した。
数年後私が生まれた。
 
そして、Aさんが結婚した。そのとき私は、披露宴でなにか大役をして
大失敗したらしい。
もちろん憶えていない。
 
憶えているのは、幼い小さな自分の背丈の3倍はあろうかというウエディングケーキ
(ニセモノ)を
「お父さん!たべたい」といったら
「このケーキは一番上の小さい所しか食べられないんだよ」
と騙されたことである。
 
自分が結婚するときに、婚礼の担当さんや、その他のスタッフに
それを言ったら思いっきり笑われた。
 
 
そして、Bさんが結婚した。
Bさんは、奥さんと駆け落ちだった。

 
お父さん、お母さん、私、そしてAさん夫婦の6人プラスガキ(私)で
小さな結婚式を挙げた。
Bさんには何も無かった。明日食べるものも、着るものもという状態だったらしい。
 
お父さんとお母さんは、何も無いBさんに、お鍋や茶碗をあげたりしたとか。
Aさんと、お父さんお母さんで、がんばれ!って3人が3人それぞれ苦しいながら
も、Bさんを支えたらしい。 
 
話に聞く限りで、確かなことは何も直接聞いたことは無かったのだけど
チラチラと聞いたことがあるのは
Bさんの親も、その奥さんの親も、
子供にたかって生きているタイプの人間だったらしい。
Bさんが稼いだ金をぶんどって事業を起こし、何倍もの借金にして返すというのを繰
り返していたらしい。
 
Bさんはそんな親から逃げるようにして駆け落ちして、今の会社を築いた。
がんばって、がんばって 
けっこう大きな商社の社長さんになった。
年商は、億単位になるような会社を築いた。 
 
Bさんの奥さんは、さまざまなストレスから、体の不調が増えるようになっていた。
私が幼いころに遊んだ記憶では、明るくて、冗談ばっかりいってるような人だった。
吉本新喜劇に出てきそうな感じだった。
 
でも、やっぱり苦労ばかりしてる顔つきだなぁというのは
思春期前の私にも、見てわかるほどだった。
 
 
Bさんが社長になって、事業が大成功したとき
確か我が家(実家)に集まったんだと思う。
Bさんの奥さんの左手の薬指に、ものすごい大きなダイヤの指輪があった。
まだダイヤモンドの価値なんてわからない思春期前の私の印象は
小さいころに駄菓子であった、ジュエルリングという指輪の形の飴さながらだった。
とっても大きなダイヤの指輪。
Bさんは「なにもしてやれなかったからね」と笑った。
Bさんの奥さんはテレ笑いをした。
 
茶碗もおわんも湯のみもなかった。お鍋も無かったところから
こんな大きなダイヤの指輪を送るまでの苦労は
私には到底わからない。
きっと、当人にしかわからないはず。
 
 
それが、約10年以上も前。
 
 
3人に子供が生まれ
規模は違うけどそれぞれ独立していわゆる店主や社長になって
子供が高校だの大学だのとお互いの生活が大変になって
 
たまに、電話で話したりしていたけれど
 
Aさんはたまに我が家にきていたりしたけれど
 
 
 
 
「ちょっとね、うちの〇ちゃん、調子が悪いんだ」
そんな話がBさんからお父さんへ。
そして入院。
月に1回くらいしかないお休みをなんとかお見舞いに行く日にして
Bさんに連絡をとったら
「ちょっと様態がよくないから、今回は来ないで」
という連絡がきたとか。
 
私とケイくんは、「あえなくて言いから行こう!」と
お父さんに行ったけど、
お父さんは、いいやいいや、と辞めてしまった。
 
次は、8月のX日ね、とBさんと連絡をとっていた。
 
 
 
 
 
 
暑い暑い夜だった。 
 
 
 
 
 
「ゴメンな、うちの〇ちゃん、もたなかった」
Bさんからの電話だった。 
 
 
 
 
 
 
 
 
Bさんから電話があって、しばらくしてお父さんからケイくんに電話がきた。
お葬式いきたいから、お店をよろしく、と。
 

「ちょっと顔だしたらかえるから」
なんていうお父さんに、私とケイくんでおもいっきり説教した。
最後のお別れだけはきちんとしてこい!と。
それでもごにょごにょいってるので、
「これでお父さんがきちんとお別れしなくて、ケイくんが
”お父さんのお友達ってひとがずーっとここにいるんだけど”とか
”お別れをきちんとして欲しかったわ”なんて言ったら
どうするのさ!
Bさんがいい加減帰れっていうまで、いなきゃダメ!
店のことは気にするな。ケイくんがごまかしながらも(!?)やるから」
といってやった。
 
いいのか?なんていうから、ケイくんからも「いいから!」って
言った。
 
 
 
私が知ってるBさんの奥さんは、吉本新喜劇に出てきそうな
冗談ばっかりのひとだった。
いやぁーねぇー と笑う人だった。
ダイヤの指輪で私が「ガラス切れる?」といったら
窓を切るフリをしたり
楽しいひとだった。
 
子供もきちんと叱る人だった。
 
 
私にはそこまでの印象しかない。
そこからの10年、どんなことがあったのか、
どういう風だったのか
まるでわからない。
 
 
 
 
お父さんが帰ってきて落ち着いたら
お墓の場所を聞こうと思う。
安らかに眠ってねって、伝えに。
きっと、Bさんや、子供二人のことが心配で心配で仕方ないと思うけど・・・。

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